かなりつよい。

日記です。

僕ら

君のせいか いや 僕のためか

誰のせいでも ためでもないけど

いっそせーので終わらせたくなるよ

この曇り空の下

ふわふわ浮いてた二人眠りながら

僕らきっと知ってた この手を離さない弱さを

 

こんな日々じゃダメだって分かっている

君と僕で見つけたあの空

いっそせーので終わらせたくなるよ

本当の鳴る場所で

ゆらゆら煌めく天の川のように

僕らいのち燃やすひとつの星になれるよう

キラキラ煌めくあの空で見たような

僕らそのふたつになれたならいつかの場所で

 

春のにおい

春のにおい 空は明るくやさしい

春のにおい 雲はやわらか

雲の上を二人さんぽしたよね 覚えてる?

あの頃や今もこれからのことも

なかったことにはしないでいてね

 

太陽のひかり 目覚ましがわり

私も君の役に立てていますか

菜の花畑さんぽしたよね 覚えてる?あの色を

忘れることは簡単さ思い出すより

雪が溶けたらまた会おうよ

春風に吹かれ夢と混ざる

 

忘れたはずのメロディー

空っぽになった僕は楽さ

なのになぜか胸が痛むんだ

久しぶりに書く。

最近、体調がすごく良い!と思うのと、その逆にものすごくダメになるのを繰り返している。それはまるでジェットコースターに乗っているみたいで、今わたしは鬱鬱トンネルの中にいて、今にもこのジェットコースターから降りたいけれど、今降りたら鬱鬱トンネルに取り残されてしまうことになる。だから降りられない。そもそも強力なシートベルトみたいなものを付けられているから、無理なのだけれど…。でも出口は微かに見える。微かな光が遠くの方に見える。だから大丈夫なのは知っている。いつかはここから出られるって知っているから。多分大丈夫な人は、ジェットコースターに乗っていない。というか、乗せられていない。自分で運転できる電車とか車とか自転車とか、そんな感じで自ら乗り物に乗っているのだと思う。または、徒歩とかね。本当イメージの話だけれど。

こうして、頭の中のことを言葉に、文章にすると少しはすっきりするな。

 

そういえば、1月から日課ノートってのを作って、日々のことを記録している。何をしたとか、何ができなかったとか記してる。あと、今年こそは弾き語りアルバムを作りたいと思って、何曲か作ることができた。まだまだだけれど。inorioってなまえで作ろうと思ってる。

 

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上のは結構前に書いてあった日記。

ここ数日で色々なことをインプットした。久しぶりに新しい曲が書けそうだ。調子は相変わらず良くないけれど、絶望的でもない。ものすごく小さいスケールで物事を考えたり、その逆にものすごく大きいスケールで物事を考えたりしていると、なんだかよくわからなくなってくる。心が枯れてしまったのかあまり感動したりして泣かなくなった。いや、泣けなくなったと言った方が正しいのかも。でも、訳も分からず泣くことはあった。よくわからないね。寝たら明日が来ちゃう。困ったなあ。終着点のない日記だった。まあ、いいや。

おやすみなさい。

どうせ生きるのなら

どうせ生きるのなら、生きていたい。

どうせ生きるのなら、いま、今日、明日、昨日、いつだってわたしは生きている(生きていた)ことをじぶんの心に、体にそれを刻んでいたい。考えていたい。感じていたい。それを忘れないでいられるように、表現していたい。どうせ生きるのなら、弱くてもいいから、ダサくてもいいから、宙ぶらりんでもいいから、わたしは生きていたい。その気持ちをわたしは忘れていた。いつからか分からないけれど、便利になればなるほど、楽になればなるほど、しがみつく力を使わなくなってしまうんだな。ずっと一人で必死に抱え込みながら生きていた時のあのつよさで生きたい。むずかしい。でも、ぜったいに諦めない。少し休んでいただけさ。がんばるよっ!✌️

はる

ずっと更新していなかったから、たまっていた下書きに今のことも付け加えて更新しようと思う。去年の春頃のもの。今はまだ春ではないけど、今年は全然雪が降らなかったね。

 

 歩道の雪が溶け、雪が雨に変わった。春の訪れを感じる。わたしは春が割とすき。なぜなら、色々なことが終わって、またいちからはじまる季節だから。たぶん多くの人がそんな理由で春が好きなんじゃないかと思うのだけれど。わたしは天気に気持ちが流されやすいのかもしれないと今日なんとなく思った。全てのカーテンを開け、お日様のひかりを明かりにして、掃除や片づけなどをしていた時に思った。毎日誰かに見てもらうためでもなく、じぶんのため?とも分からないけど外に出て歩きながら写真を撮っている。でも「あっ」と思ってiPhoneのカメラを開いても、iPhoneの画面に映る枠の中の景色を見て「あっ全然違うや」と思って撮るのを諦めてしまうことが結構ある。今この"とき"をとっておきたいのに、と思う。高性能なカメラなんて持ってないし、よくわからないから、わたしにはiPhoneで十分なのだけれど、そういう時ちょっと悲しかったり、悔しかったりする。だって、"いま"はどんどん変わってゆくし。自分の撮った写真を見返すと、わたしはたぶん何かが整列している景色や、自然に発生した偶然の景色、特に危うい?儚いっていう方があってるのかな?そこに人間が手を加えたら全く意味のないものになってしまうようなものが好きなのかもと思った。だから、光とか雪、川が好きなのだと思う。

 

 最近は、特に夕陽が好きだ。夕陽が部屋の一部に差し込んで、外の景色とリンクしてゆらゆらする。その何とも言えない光と影の儚さを眺めていると、とても落ち着く。夕陽を見ようとカーテンを開けると最近電線の一部にすずめが集まっている。ちょうど私の部屋は窓から、電線が見える高さで、夕陽とすずめたちを毎日眺めている。あったかいのかな。この前、その光景をカメラで撮ろうとして窓を開けたら、そうっと開けたのだけれど驚かせてしまったようで、みんな飛んで居なくなってしまった‥(笑)

 

 昔は書きたいことがありすぎて毎日のようにブログや日記を書いていたのに、今は全然書いてない。なぜだろう。前より少し元気になったからなのかもしれない。昔は書くことが生きがいだったのかもしれない、自覚は全然なかったけれど。誰のためでもなく書いていた気がする。ちょっとしたことで、傷付いたり、怒ったり、どうしようもなくなったりして、書くことでその気持ちを昇華(ちょっと違うかな?)していたのかも。きっと書くことは自分のためにしていたんだ、ほとんど。またそんな風に書くことがどんどん頭から湧き出てきたらいいな。そういえば1月の末から、小説みたいなものを書き始めた。あと、うたを9曲作った。(とても簡単だし、クオリティーは気にしないでやっているものだけれど…。)とにかくつくりまくることが生きがいになると信じて、日課として小説みたいなもの、うた、絵をつくっている。まだなかなか習慣としてできていないけれど、これからもっともっと日課を毎日頑張りたい。

 あと、話は変わるけれどバンドのアルバムも制作中で、とても良いものができそうで出来上がるのが楽しみ。出来上がったら、ネットで買えるようにできるようにしたいなーと勝手に思ってます。

 

Tumblrに最近写真をupしてるのでよかったら見てみてください。では!(๑╹ω╹๑ ).o0

https://inorio0.tumblr.com/

にせものみたいな

にせものみたいにふわふわの雪

降っては溶ける 白と黒の世界

行き交うクルマのライトが

イヤホンと絡み合って なんだか

私だけが見ているこの世界は、

いま聴こえているこの音楽も

感じていること全てが、まるで映画のセットみたいに

にせものみたいだ。

 

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眠れなくて起きることにして暇だったから、昨日思ったことを少し書いてみた。

全部がにせものだったらどうする?

写真はカンケーないけど、カワウソスリッパと靴下とギター。