かなりつよい。

日記です。

はる

ずっと更新していなかったから、たまっていた下書きに今のことも付け加えて更新しようと思う。去年の春頃のもの。今はまだ春ではないけど、今年は全然雪が降らなかったね。

 

 歩道の雪が溶け、雪が雨に変わった。春の訪れを感じる。わたしは春が割とすき。なぜなら、色々なことが終わって、またいちからはじまる季節だから。たぶん多くの人がそんな理由で春が好きなんじゃないかと思うのだけれど。わたしは天気に気持ちが流されやすいのかもしれないと今日なんとなく思った。全てのカーテンを開け、お日様のひかりを明かりにして、掃除や片づけなどをしていた時に思った。毎日誰かに見てもらうためでもなく、じぶんのため?とも分からないけど外に出て歩きながら写真を撮っている。でも「あっ」と思ってiPhoneのカメラを開いても、iPhoneの画面に映る枠の中の景色を見て「あっ全然違うや」と思って撮るのを諦めてしまうことが結構ある。今この"とき"をとっておきたいのに、と思う。高性能なカメラなんて持ってないし、よくわからないから、わたしにはiPhoneで十分なのだけれど、そういう時ちょっと悲しかったり、悔しかったりする。だって、"いま"はどんどん変わってゆくし。自分の撮った写真を見返すと、わたしはたぶん何かが整列している景色や、自然に発生した偶然の景色、特に危うい?儚いっていう方があってるのかな?そこに人間が手を加えたら全く意味のないものになってしまうようなものが好きなのかもと思った。だから、光とか雪、川が好きなのだと思う。

 

 最近は、特に夕陽が好きだ。夕陽が部屋の一部に差し込んで、外の景色とリンクしてゆらゆらする。その何とも言えない光と影の儚さを眺めていると、とても落ち着く。夕陽を見ようとカーテンを開けると最近電線の一部にすずめが集まっている。ちょうど私の部屋は窓から、電線が見える高さで、夕陽とすずめたちを毎日眺めている。あったかいのかな。この前、その光景をカメラで撮ろうとして窓を開けたら、そうっと開けたのだけれど驚かせてしまったようで、みんな飛んで居なくなってしまった‥(笑)

 

 昔は書きたいことがありすぎて毎日のようにブログや日記を書いていたのに、今は全然書いてない。なぜだろう。前より少し元気になったからなのかもしれない。昔は書くことが生きがいだったのかもしれない、自覚は全然なかったけれど。誰のためでもなく書いていた気がする。ちょっとしたことで、傷付いたり、怒ったり、どうしようもなくなったりして、書くことでその気持ちを昇華(ちょっと違うかな?)していたのかも。きっと書くことは自分のためにしていたんだ、ほとんど。またそんな風に書くことがどんどん頭から湧き出てきたらいいな。そういえば1月の末から、小説みたいなものを書き始めた。あと、うたを9曲作った。(とても簡単だし、クオリティーは気にしないでやっているものだけれど…。)とにかくつくりまくることが生きがいになると信じて、日課として小説みたいなもの、うた、絵をつくっている。まだなかなか習慣としてできていないけれど、これからもっともっと日課を毎日頑張りたい。

 あと、話は変わるけれどバンドのアルバムも制作中で、とても良いものができそうで出来上がるのが楽しみ。出来上がったら、ネットで買えるようにできるようにしたいなーと勝手に思ってます。

 

Tumblrに最近写真をupしてるのでよかったら見てみてください。では!(๑╹ω╹๑ ).o0

https://inorio0.tumblr.com/