かなりつよい。

日記です。

じぶんのなまえ

 子どもの頃からずっと、ありきたりだし、おんなじ名前の子や、おんなじ頭文字の子が多くて、しかもちょっと古臭くて好きになれなかった。だけど、最近ちょっとだけ好きになった、というかしっくり してきた。ミサってのは、キリスト教?の礼拝を意味するらしい。細かいことは分からないけど、祈ることを指すみたいだ。だから外国の方には誤解を招かれるような名前かもしれないけど、発音はしやすいのかもね(笑)わたしの名前が、その言葉の響きが、祈るって意味なら、いいかもなと最近なんとなく思ったのだ。

 あと漢字は「美」がどうしても嫌で、それは祖母、母からただ形式的・義務的に引き継がれた文字に思ってしまっていたし、美しくないのに名前に「美」という漢字があるのがどうもしっくりこなかったから。だから、いつも電話などで伝える時には「美しいの美」の方が分かりやすいだろうけど敢えて「美術の美です」って伝えてきた(笑)「紗」はテキトーに付けたのではないかなと思っていたけど、「紗」という字の意味は、うすぎぬ。細糸で織った軽くて薄い絹織物。また、ひろく目のすいた薄い織物。麻や綿をほぐして、あらくすいた糸。 特殊な織り方で目を透かせた絽ロに似た織物。という感じの意味らしく、なんとなく今更しっくりしてきた。上手くことばにできないけど、生まれた時からこういう性格って決まっていたのかな、というか、人は名前のとおりに育つってことだね。わたしの名前はとにかく画数がものすごく悪いらしく「今すぐ改名した方がいい!」 と占い師に言われたことがあるけれど、このままの美紗でいいかな、となんとなく最近思ったのでした〜。久しぶりに書こうとしたら、どうでもい〜こと書いたな。またサボらないように近々アップします、最近撮った写真なども一緒に🧸では🧸🌷

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きせつ

窓から見える景色が好きだ。と思っていたけど、もしかして枠が好きなのかも、と思った。ここ数日施設で、袋詰めなどの作業をしてる。色んなことを考える。本当は、本当の意味では全ての人がそれぞれ自分にしかできない仕事ってあると思う。個性とかそういう言葉はちょっと苦手だし、そういう意味でもないけど。でもそんなことばかり言って働かないでいると、非難されてしまうな。

 

久しぶりにパソコンを開いたら下書きがあったので更新することにした。最近新しい机と椅子を手に入れた。部屋のどこにも古家具なんてないのに古家具屋さんでなんとなく、本当に衝動的に買ってしまった(笑)少しだけ、昔?のにおいがする。そして、ずっと欲しかったミチルカレンダーを壁にかけ、机には大切な本を数冊立てかけている。あと、可愛すぎてなかなか使い道がなかったくまさんのデスクライト(これもネットで衝動買いした(笑))を左端に置いた。とてもいい感じ。さて、頑張ろうと意気込んだところで、突然の体調不良。。左目のぴくぴくから始まり、体の左側だけが変なのだ。でも痛くもかゆくもなく、ただ、ぼんやりと違和感があるだけ。それは案外不快で、困った。でも、二日間全てのことをサボってみたら、少し元気になってきた。私は病院が苦手で、なぜかと言うと、本当に困って頑張って出向いているのに「異常なし」「原因不明」「気のせい」という風に何度も言われてきたからだ。だから、なるべく行きたくない。こんな話はどうでもいいか。

 

去年のいつか、ふと本屋さんでフランクルの本を買った。と言ってもきっとフランクルが書いたままの本は難しすぎて理解できないだろうと思い、フランクルの名著『夜と霧』の解説本みたいなものを。どうしてフランクルなのかと言うと、卒論発表会でいつも優しく指導してくださっていた先生(担当の先生ではないので発表会の時くらいしかお話はしないのだけれど、厳しいことで有名?なのに私にはいつも発表会に出席しただけでほめてくれた。。(笑))に「あなたはフランクルの本を読んだ方がいいと思います。」と最後に言われたのを思いだしたからだ。とっても面白かった。何がどう面白かったのか説明しようと考えたけど、何も説明がつかない。。次は解説書ではなく、フランクルの書いた方を読めたらいいな、と思う。そういえば、大学3年生の春、ユングのタイプ論が気になって、ユングの『タイプ論』を書庫まで行って借りたのだけれど、2週間かかっても2ページも理解できなかったことを思い出した(笑)それで、すぐ諦めてしまったけど、今思えば、日本人が書いたその解説書や入門書みたいなものから読めば、そっちの研究ですんなり進んで4年で卒業できていたかもしれないな。まあ、いっか。

 

なんだか、どうでもいいことばかり書いたけど、こうして書くことで頭がすっきりする感覚を思い出した。近い内に本当に書きたかったこと(中途半端になっている下書きがたくさんある…)を書こうと思う。では!

 

 

色々あるけど

どうして大変なことは立て続けに起こるのだろうか。もう本当にだめだと思った時にふと解決の糸口が見えるはずだと祈ってその時を待つ他ないのだろうか。この世界には、闇があって、それはとっても身近に潜んでるってよく分かった。そして、その闇ってのは、死ぬまで付きまとうくらい恐ろしいもので、その人のお金や家族、友だち、生活、生きるということをすべて1つも残さず失わせてしまう。とっても簡単に。あっさりと。すべてを失っても平気だよなんて真面目な顔で簡単に言える、そんなのおかしなことだ。しかも本気でそう思ってる。この世界の闇が許せない。許せないけど、どんだけ思っても、どんだけ話してもだめなら、わたしは、あなたを救うためだったら死ねるよって思うだけだ。でも、死んだって救えるか分からないし、何も変わらないかもしれない。ごめんね。

 

望み

最近の結論、自分が誰かに抱くマイナスな感情は、相手の問題ではなくほんとは自分の問題ってこと。それってとても悲しいけど、気づくだけでもやったね!と言い聞かせて頑張るしかないね。いまの私の場合、自他の境界があいまいなことと、自分に自信がないことが色々な問題・課題の原因みたい。そんな気なくても人を嫌ったり、見下したりしちゃってるのかもしれない。でも本当はその人を嫌う必要もないし、比べる必要もないってこと。なんであんなことするんだろう?って考えるのが趣味みたいになっているけど、ほんとは自分の考えしか受け入れられない自分がいるだけなのかもしれない。そんな自分を守りたいだけなのかもしれない。せかせかイライラしないで、心穏やかに暮らしたい。この前、徹子の部屋角野栄子さんが出てて、すごく穏やかで優しくて、あんな大人になりたいなと思った。幼い頃、自分で想像する物語に自分は救われたのかもしれないと言っていた。人は苦労した方がいいとかそれはよく分からないけど、大変なことを経験した人が大人になってニコニコしているのを見ると、なんかとっても希望って感じだった。

ずっと夏休み

SNSはむずかしい。要らない情報も入ってきてしまうから、大変だ。テレビも同じで、無視すればいいけど、できなくて心がめちゃくちゃになる。この前大通公園の近くを自転車で走っていたら信号待ちで横になった女の人に「法律違反だ」って言われた。独り言のようにその後もずっと、物凄く怒りながら真っ直ぐと一点を睨み何か言い続けてた。ちょっと怖かったから、全部聞こえてないフリをした。信号が青になって、自転車を漕ぎながら、何が彼女をそうさせたのだろう、とか考えた。過去にひとりじゃ抱えきれないくらい、とってもショックなことがあったのかなと思った。もちろん本当のことは、彼女にしか分からない訳だし、きっともう会うことはないのだけれど。この前友だちが「人一人分の悲しみを5人で分けたとしてもお釣りがくる。そんな鉛の塊みたいな悲しみを一人一人持ってるとすると、日本なんてあっさり沈没してしまうと思う。みんなどうやって鉛の塊と折り合いをつけてるのか知りたい。」って呟いてた。本当にそうだと思った。みんなそれぞれ何かを抱えてるんだなと思うと、なんとも言えない気持ちになる。ニュースに映っている悪い人?たちにも、それぞれの人生があって、それを考え始めると、どこに怒りをぶつけていいのか分からなくなってしまう。自覚がないというのは、とても恐ろしいことだと思った。でも、自覚するってどーやるんだろう。

 

久しぶりに書いた。最近暑くて暑くて、全然だめ。でもこのままずっと夏休みでいたいよ。

おやすみなさい。

かもかも川

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ずっと書いてるものが、なかなかまとまらずもやもやな最近。なんとなく最近撮った写真を載せとく。豊水食堂へ行くといつも、よしもとばななの小説の中に出てきそうな場所だな と思って不思議な気持ちになる。来ているお客さんたちや、ごはんを作ってくれるお母さんがみんな、小説の中の人物のように思えて、時間が止まっているような感覚になる。そんな感覚のなかで、ごはんを食べていると、自分も小説の中のひとりなのではないかと少しだけ思えてくる。帰り道、現実とファンタジーが混ざったみたいな風のなかを歩いて、ちょこっと優しい気持ちになる。

なんだか厨二病ちっくな文章だ!(笑)いや、ほんとに厨二病なのかもしれない。。😢恥

 

 

もしかして

ほんとうは「うるせー」とか言い返したいけど、ずっとなんにも言えない。いつだって今日こそは許さないと思ったって、結局言われっぱなし。のび太ジャイアンみたいだ。のび太のわたしは、散々いじめられた帰り道、ただ強くて優しいこころの歌をイヤホンで聴いて、自分で自分を慰めることで精一杯。悔しくってどうにかなってしまいそうだけど、もしかして、と思って恨んだり呪ったりはしてはならないのだよな、とだけ思う。ならば、この気持ちはどうすればいいのだろうか。困ったな。助けてよ、ドラえもん〜。。

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